PROFILE
ユウサミイ
YuSammy Profile (English)
事務所もレーベルもオンラインショップも、全て個人経営、完全フリーミュージシャン。
子供の頃から夢見た事、たった一つ、を除いて全て叶えたと思った18年間のオーストラリア移住生活の中で、捨て切れなかったミュージシャンへの憧れを叶えるべく、40歳で脱サラ。日本語の自分の歌を歌いたい、と、2008年頃から、日本でライブ活動を開始。日本でライブ、オーストラリアではストリートミュージシャン、と言う生活を続け、2013年に完全帰国。
以来、主にライブ活動を中心に、舞台音楽なども手がけ、国内最高峰のミュージシャンとも共演を果たすまでに至る。
ライブは常にギター1本。
卓越した演奏技術と極めて個性的な歌い回し、圧倒的声量、「独自のスタイルの弾き語り」「軽妙かつ説得力の高いMC」が作り出す、たった一人で2時間、のステージは、
「日本最高峰のギター弾き語り」「バンドが鳴っているようなグルーブ」「今、絶対ライブ演奏を聴いておくべきミュージシャン」「心に響く歌と、芸人のようなトークのギャップが神」「初めて聴いた知らない歌で涙が流れた」
さらに詳しく。
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大学4年を休学して一年間訪れた、オーストラリア、ゴールドコーストに魅せられ、
20代の全てをオーストラリア永住の夢に捧げる。
永住権獲得を目的としたキャリアをつけるため、京都の宝石店で5年間勤め、GIA・GG(米国宝石学会宝石鑑定鑑別士)を取得。この間、京都、木屋町でストリートミュージシャンをしていた。
1996年から永住目的でオーストラリアへ。クィーンズランド州、ゴールドコースト市に在住し、2000年に永住権取得。オパールトレーダー、お土産店店長を経て、世界最大の某有名ブランドに就職。
海から2Kmの湖の前に家も買い「全ての夢を叶えた」生活は、当初は楽園のようだった。
が、数年のうちに、何かが違うと感じるようなる。
2005年頃、一切の不自由も不安も無いはずの生活の中、追いかけるものがない、目的が見えない、変化がない、打ち込むものがない、生活に張りを感じられなくなり、漠然とした不安感を抱えるようになっていった。
何かを変えたい、と、学生時代に目指したミュージシャンの道を、少し軽い気持ちで追いかけてみようと、クィーンズランド州の州都、ブリスベンのチャイナタウンや、バイロンベイの海ぞいの繁華街でストリートミュージシャンを初める。
「チェーンCDが人生を変えた」
2006年に、日本から75000円で取り寄せた、マルチトラックハードディスクレコーダー、と呼ばれていた機材で、自主制作CDを制作。今で言うFacebookのような日本のSNSで「ミュージシャンになりたい」と話して知り合った80人に、「CDを最低3枚コピーして友達にまわす」と言う約束の下、オーストラリアから郵送で無料配布した。CDには対応するホームページを作り、収録曲の中に「CD回して」という「気に入ったら一枚コピーして友達に回して欲しい、ホームページも観にきて欲しい」というメッセージの曲を入れてあり、対応するホームページは、1500アクセス(今ではとんでもなくすくないが、当時としては結構な数字だった)を超え、聴いた人からメールをもらうようになった。
「いじめられて自殺を考えていたが、もう学校にはいかない。がんばる」という中学生。
「長年耐え続けたが、離婚を決意した」という主婦。
「もう一度、理想をめざして働こうと思いました」という小学校教諭
誰かにメッセージをつたえよう、となど思った事は一度もない。全部ただただ自分に歌っていた歌が、人の勇気やら希望やらになっているのかもしれない。自分にはまだなにかできる事があるのかもしれない。
それが歌作って、歌って生きる事 だったとしたら。なんて、思ったのです。
そうやって、本気でプロミュージシャンになることを決意して脱サラ。
でも、その時はまだ、日本とオーストラリア、2重生活、を夢見てた。
以後、年間半分を日本でシンガーソングライターとしてライブ活動、残りをオーストラリアでストリートミュージシャンという生活を続けて、2010年後半から本格的に腰を据えて日本にライブ活動を開始。
今は日本でやりたい事がある、と強く思うようになり、2013年に完全帰国。
ライブは常に、ギター1本だけ。
人間1人、ギター1本、マイク1本。
ステージにたったそれだけの2時間。
独自の演奏技術、極めて個性的な歌い回し
「ギターの弾き語り」と「軽妙且つ説得力の高いのMC」が作り出す
2時間のステージは、
「日本最高峰の弾き語り」
「バンドが鳴っているようなグルーブ」
「今、生演奏を絶対に聴いておくべきミュージシャン」
と業界で各所で評され、
「初めて聴いた知らない歌なのに涙が溢れた」
「ギターと声だけの2時間とは思えない、あっという間だった」
「こんな事とわかっていれば、聴かせてあげたい友人がいたのに」
「ただの音楽ライブではない、日々の生活の力になるライブ」
「ユウサミイの生歌を聴いた事がないなら人生半分損してる」
「心に響く歌と面白トークのギャップが神」
などの言葉が寄せられる。
完全帰国後は、シンガーソングライターとしての活動の他、舞台音楽を手掛けるようになる。
2013年、野口嘉則さんのベストセラー「鏡の法則」舞台化、音楽監督、演奏出演。
2014年、京都府舞鶴市の、シベリア抑留資料ユネスコ遺産登録活動の
一環として制作された「音楽劇 君よ生きて」にて、
全楽曲作詞作曲編曲、音楽監督、バンドマスターとして演奏出演。
2015年には戦後70周年記念公演として、
芝居の舞台である舞鶴市を皮切りに全国ツアー。
「君よ生きて」2015年版全国ツアーの舞鶴公演は年末にNHK にて特集されて全国放送。
横浜公演をDVD化した映像は、文部科学省推薦映像作品に選ばれた。
もう一度「君よ生きて」を!!
という言う熱望の声が広がり、2017年2月には、
重要文化財 大阪市中央公会堂
東京、天王洲 銀河劇場、
にて、再々再演。
翌2018年も東京で公演、
全公演満員御礼の大盛況。
2019年「鏡の法則」が、
劇団四季Wiked エルファヴァ役などで知られた看板女優、
樋口麻美を主演に迎え、「ミュージカル 鏡の法則」として復活。
17公演をほぼ100%の動員で大成功を納めた。
その他、SMAPの「ダイナマイト」「SHAKE」「オリジナルスマイル」
「青い稲妻」などで知られる、作詞家、小説家、森浩美氏の主宰する舞台
「家族草子」の音楽担当としても活動。
(2016年、札幌公演チラシ)
ライブはほとんどがワンマンライブ。
ときどき、素晴らしい先輩ミュージシャンの方々にお誘いいただいてコラボをすることもあり。
大手事務所、レーベルに属さず、活動のすべてを個人で営業している。
「世界中でたったひとつの ひとり分の宇宙」で、作詞作曲編曲、楽器演奏、録音編集。
マスタリングとジャケットデザイン以外の全て作業を一人で制作。
だから、出てくる音の全てが、ユウサミイ本人の手によるもの。
以降、ダウンロード販売、サブスク等で発表している楽曲も全て一人で制作している。
2021年5月13日、
ニューアルバム、
「Now and Back Then」発売。
そして、同年、12月16日、
まさかのアナログLPレコード 、
「イコン」 発売。
CD販売も、一般流通させず、AmazonにもCDショップにも置かない。
ライブでの手売り、自身で運営するネットショップ「ユウサミイストア」での販売。
マネージャーもいない、専属音響もいない。
一般的な音楽業界の常識やメインストリームからすこし外れたスタイルで生きております。
長いこと、お読みいただいてありがとう!!!