僕は、ストリートミュージシャンでした。
オーストラリアで、音楽をやりたい、歌を歌いたいと、思い始め、
とりあえず、友人の経営するバーなんかで、ビートルズだの、ボブマーリーだの、ギター弾き語りをしたりしはじめて、ふと、
やっぱストリートミュージシャンだろ、
って思い立ち、金土に、ブリスベンのチャイナタウン、バイロンベイの街中、などで、ストリートミュージシャンを始めました。
ゴールドコーストから、ブリスベンには1時間、バイロンベイには1時間半かかるので、車で行って、あれ、なんていうんだろ、手押し車、みたいなのに、ギターと充電式アンプを載せて・・
うーん、このころ、痩せてたなぁ・・・・60キロなかった。
いつもやってた場所は、すぐ近くに交番があって目の前がバス停の、韓国系の免税品店の閉店後のエントランスゾーンだった。
この写真にはあまりたくさんお金写ってないけど、実は結構な稼ぎになります。
それだけで十分生活していけるくらいの稼ぎになる。
ほとんどはコイン、オーストラリアは主に使用されてるのは5セントから2ドルコインまであるんだけど、日本のコインより重いので、いい加減な袋に入れて、パンパンにして帰ったら、家のガレージで車から出した時に(家でラッキーだったんだけど・・)袋の底が抜けて、コインばらまいた事があって、
奥さんが、デニムみたいな感じのしっかりした黒い記事で、お金袋、を作ってくれて。
それには、$マーク が刺繍してありました。
家について、翌日、コイン10枚づつ積んで数えるのが楽しみだったなぁ、、
これ全部札だったらいいのに、、、とか思いながら。
調子いいと、400ドル、とかになっちゃう。
当時、400ドルは大体平均的な週給(オーストラリア基本週給制です)
だから、3時間で平均週給になっちゃう時が、ちょいちょいあるって事です。
オーストラリアって国は、こういう大道芸人へのリスペクトがすごくて、立ち止まって終わりまで聴いたら、ほとんどの人がいくらか投げ銭してくれます。
いわゆる余裕のある人だと、100ドル、つまり僕らにとっては1万円のイメージ、サクッとおいていく人もいます。
ご覧の通り、お金もってないから、って、1曲づつタバコを1本置いて行ってくれる人もいた。
こまるのは、タバコ状に巻いたマリファナを勝手においっていく奴がたまにいるの。
目の前、交番なのに・・・(笑)
もしかして、ただの巻きたばこかも、って、匂い嗅ぐと、もう、ぜんぜん大麻なの(笑)
その時、ぜったいに素手で触らない。
そういう時、とりあえず警察が来ると怖いので先手うって交番に行って、警官にきてもらってから、
「僕、これ触ってないけど匂いがタバコじゃない。今、置いていかれたんだけど僕のじゃありません」
って言って引き取ってもらってた。
ある時、目の前で聴いていた韓国系のおじさんが、しばらくすると僕の横を通り過ぎて、免税店の鍵を開け、中に入って行った。
「え、もしかしてお店の人? やべえ、ここでやるな、、って言われる・・」
って思って、今のうちに逃げるか、謝るか、、、彼が出てくるのをビクビクしながら待っててたら、彼、名刺を持ってでてきて、
「もし、こんど、誰かがここで先に歌っていたら、自分はここのオーナーに許可をもらっていると、これを見せてどいてもらえ」って言って、名刺に一筆書いて渡してくれて、20ドル置いて行ってくれた。
それ以来一度も会っていないけれど、きっと、アジア人ががんばってる、って、応援してくれんだろうなぁ、、、と思うのです。
ブリスベンは決して治安の悪い場所じゃない。
でも、場所柄、やっぱりいろいろ怖い事はあった。
でも、こうやって、酔っ払った街の人たちが、たくさん絡んでくれて、ちょいちょい遊びにくる仲良しのアボリジニ のにいちゃんとか、友達も出来たりして。
Hallelujah ハレルヤ
これを、帰る直前、午前2時くらいになって歌う。
目の前はバス停で、向かいの歩道はタクシー乗り場で、
その時間は人がいっぱいいるのです。
ハレルヤを歌うと、その辺りみんなが、一緒にハレルヤを合唱してくれる。
知らない同士が肩組んで歌ってたり、カップルがキスしてたり。
1988年、オーストラリア大陸に、まだ、ただの一人も僕を知る人がいなかった、まったくの一人だった、初めてシドニー空港に到着した日を思い出すと、
それから、20年くらいして、オーストラリアの人たちが、大勢、僕の歌で、こんな風に楽しそうにしてくれている。
毎回、ほんとうに感動しました。
いつか、機会があったら、もう一度、同じ場所で、ストリートミュージシャン、やってみたい。
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